その地が、安息を取り戻すため

【日々のレーマ】

歴代誌第二、36章21節
これは、エレミヤによって告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。その荒廃の全期間が七十年を満たすまで、この地は安息を得た。

【追記】

南ユダ王国の末期、エルサレムには、不品行や不正といった悪がはびこっていました。

そこで、神様は、バビロンにエルサレムの侵略を許されます。

これ以降、エルサレムの民は、バビロンに捕囚されます。

この艱難の期間は、神様によって予め、70年間と約束されていました。

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預言者エレミヤは、その70年間について、神様からこう告げられています。

まことに、主はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。(エレミヤ書、29章10節より)

この70年後のエルサレム帰還が分かっていたので、かれらは捕囚の地にあっても、離散したり、消滅したりせずに、耐えることができたのです。

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また、この期間は、神の足台としてのエルサレムの地にも、必要不可欠な期間でした。

その点を、冒頭の聖句から振り返りましょう。

これは、エレミヤによって告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。その荒廃の全期間が七十年を満たすまで、この地は安息を得た。(歴代誌第二、36章21節より)

一旦失った安息の地は、一朝一夕には戻りません。

70年の期間は、エルサレムの地にとっても、はびこった不品行や不正といった悪を根絶やしにして、安息を再び取り戻すために必要な期間でもありました。

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しかし、そのための70年は、長い道のようでも、必ず出口があります。

数世代が有限の期間を耐えさえすれば、安息の地が未来の子孫たちに戻るという希望の約束だったのです。