【日々のレーマ】
ピレモンへの手紙1章10節より
獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。
【追記】
ピレモンは、自宅をホームチャーチに開放するほど、福音伝道の基盤作りに協力的な人物です。
このピレモンの家には、オネシモという奴隷がいました。
奴隷といっても、最下層のしもべとは違う印象です。
オネシモは、主人ピレモンの金銭経理に携わる立場の奴隷であったと思われます。
なぜなら、パウロが書簡の中で、オネシモがピレモンの家からお金を盗んでいたことを匂わせているからです。(ピレモン書、1章18節を参照)
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このオネシモは、この手癖の悪さが災いしたのか、その原因は定かではありませんが、主人ピレモンの家にいることができなくなって、逃げ出します。
オネシモは、行くあてなしに、主人ピレモンの信仰の師であった、使徒パウロの元に身を寄せます。
このとき、使徒パウロは、軟禁状態で囚われの身でした。
悪人でずる賢いオネシモにしてみれば、いくら行くあてがないからといって、パウロは身を寄せるような相手ではありません。
それなのに、そんなオネシモが行った先が、こともあろうに、使徒パウロだったのです。
ここに、如何に悪人であろうと、オネシモを天のみ旨に使おうとされる神様のみこころが働いています。
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そうして、賢かったオネシモは、幽閉されて身動きのとれないパウロにとって、役に立つ者に変わります。(ピレモン書、1章11節を参照)
パウロの薫陶と、オネシモの精誠が実を結んだのです。
ついに、あの使徒パウロをして、次のように言わしめる人間に、オネシモは生まれ変わります。
獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。(ピレモン書、1章10節より)
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このようにピレモン書を読むと、神の教会であれば、善人たちばかりでなく、悪人たちも集まることがよくわかります。
イエス様が、医者の元に病人が集まると、救済のみこころを言われた通りです。
ですから、教会に集まった悪人たちをみて、それみたことかと、つまずいてはいけません。
木になる実を見れば分かるというのは、教会に悪人が集まるという現実のことではありません。
教会に来た悪人が、善人に生まれ変わることこそが、木になった実になるのです。