キリストのうちにこそ

【日々のレーマ】

コロサイ人への手紙2章9節
キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。

【追記】

どんなに優れた人であろうと、キリストでない限り、その人の根っこは、最初の人アダムの堕落に根ざしています。

そのため、人が神の奥義を知ろうと、自分の根っこを辿って長い人生の旅を続けても、堕落の根っこにしか至れません。

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私たちの師である文鮮明師は、原理原本の中で、次のように教えられました。

最初のアダムの体に受肉した、神の霊であるアダムの霊人体は、堕落するアダムの体に留まることができません。

そこで、神様は、アダムが堕落する前に、アダムの体からアダムの霊人体を引き上げられ、神様の右側に置かれました。

(そのため、神様の右側には、堕落しない無原罪のアダムの霊人体、すなわち神の霊が唯一残っていたことになります)

その神様の右側から、その無原罪の神の霊が受肉して、地上に誕生された方。その御方こそ、イエス様でした。

そのため、成長されたイエス様は、最初の人アダムが堕落せずに完成した存在そのものであって、最初の人アダムが神の一人子であったように、神の一人子(韓国語で独生子)になるのです。

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イエス様が無原罪で誕生された理由、その神の奥義を、文鮮明師は、人類史上初めて、原理原本を通して証しされたことになります。

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さらに、初期キリスト教会の使徒たちの証言によれば、復活したイエス様は、昇天されて神様の右の座につかれます。

その神様の右の座こそ、堕落しない無原罪のアダムがかつていた位置であり、神の一人子イエス様が地上にこられたときの位置になります。

そうしてみると、再び地上に来られる再臨のキリストも、この神様の右の座からこられる無原罪の存在であって、一貫して神様の一人子であると知ることができます。

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以上のことを踏まえて、冒頭の聖句を振り返りましょう。

キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。(コロサイ書、2章9節より)

すなわち、無原罪だったときのアダム、イエス様、そして再臨の主キリストは、一貫して同じ神の霊であって、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿った御方であると,実感できます。

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人の知恵によらずに、キリストの知恵によって、キリストを知ろうと求めることこそ、信仰のかなめであって、神の奥義を知ることにつながるのです。(コロサイ書、2章2節を参照)