キリストによる神様の顕現

【日々のレーマ】

ヨハネの福音書5章30節
わたしは、自分からは何も行うことができません。ただ聞いたとおりにさばきます。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたしは自分の意志ではなく、わたしを遣わされた方のみこころを求めるからです。

【追記】

冒頭の聖句において、イエス様は、ご自分からは何も行わず、自分の意志ではなく、ただ神様に聞いた通り、神様のみこころのままにと、言われました。

それゆえに、イエス様は、神の義による正しいさばきを行う権限を有します。

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このことは、神様がイエス様(キリスト)の本心に宿られることで、神様がご自身の100%を、キリストの体に顕現されたからと、理解できます。

まさに、キリストこそは、神様に直接主管される、神様直系の男子としての一人子(独生子)なのです。

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ところで、古今東西に人生の師たる義人聖人は、先天的にも後天的にもたくさん誕生しています。

そのような義人聖人の並外れた人間性は、時と場合によっては、神であるキリストの人間性に比較できるかもしれません。

しかし、その義人聖人の中で、ご自分のことを、神の一人子と言った御方は存在しません。

キリストのほかに、神様ご自身100%を体に顕現された一人子はいないからです。

このことが、神様の一人子(独生子)としてのキリストの唯一性であり、一貫したキリスト観といえます。

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それゆえに、神様とキリスト以外を、崇めてはいけません。

義人聖人を崇敬や尊敬しているのだと言い訳しても、祈りの対象にしていれば同じことです。

それは人間崇拝という神ならぬ偶像を作ります。

その偶像は、教会にあって堕落の原因を作り、信徒たちの人生の崩壊へと至ります。

お一人お一人が、その間違いの原因を正して、神様とキリストのみを崇めることが大切です。