【日々のレーマ】
マタイの福音書、18章27節
家来の主君はかわいそうに思って彼を赦し、負債を免除してやった。
【追記】
イエス様は、神の王国のたとえとして、主人と家来の話をされました。
主人は、家来との間で、悪なる負債の清算を考えます。
人は、悪い負債を負ったままで、平穏に過ごすことはできません。
その負債の重みを感じながら、苦難の人生を歩むことになります。
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これに対する神様の気持ちは、マタイ伝によればこうです。
その人は自分の家来たちと清算をしたいと思った。(マタイ伝,18章23節より)
このように、親なる神様は、人間の負債を清算したいと願われるのです。
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いざ清算が始まると、1万タラントの負債のある家来が、主人のもとに連れて来られます。
現在の日当額から換算すると、1万タラントは6千億円です。
このような多額の負債を負うとは、償い切れない罪を負った人間のことです。
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その家来に対して、主人は返済の意思があるかを試します。
このときの主人と家来のやりとりは、こうです。
彼は返済することができなかったので、その主君は彼に、自分自身も妻子も、もっている物をすべて売って返済するように命じた。それで、家来はひれ伏して主君を拝し、『もう少し待ってください。そうすればすべてお返しします』と言った。(マタイ伝,18章25節から26節より)
家来には償えない負債であるが、家来はその負債を返済する意思を表明したことになります。
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ここで、主人がとった行動こそ、このたとえの注目点です。
マタイ伝によれば、主人はこうしました。
家来の主君はかわいそうに思って彼を赦し、負債を免除してやった。(マタイ伝,18章27節より)
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つまりは、こうです。
主人である神様は、償いようのない負債の全額を免除、すなわち蕩減する条件として、負債を返済して救われたいという家来の気持ちのみを取られたのです。
救われたいという気持ちだけです。
このわずかな条件であっても、それをもって、なんとか負債を清算してあげたいのが、神様の気持ちです。
このような神様の親としての立場こそ、神の王国だというわけです。
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神様のその親なる気持ちを知らずに、神様の立場を偽る者に気をつけましょう。そこでは神様とも、神の王国とも遠ざかるかもしれません。
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