親なる神様から赦されたのだから

【日々のレーマ】

マタイの福音書,18章33節
私がおまえをあわれんでやったように、おまえも自分の仲間をあわれんでやるべきではなかったのか。

【追記】

マタイ伝18章で、イエス様は、神の王国のたとえを話します。

まず、主人は、家来の負債1万タラント(現在の価値で6千億円)を免除します。

この話は、神の王国で、親なる神様と、その子たちである人間、すなわち親子という縦の負債を修復し、関係を復元するという話です。

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神の王国で、神と人間の縦の負債が修復されたなら、次は、なんでしょう。

人間と人間、すなわち兄弟同士における横の負債を修復し、関係を復元することです。

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イエス様は、そのことも、たとえをもって、こうお話されます。

その家来が出て行くと、自分に百デナリの借りがある仲間の一人に出会った。(マタイ伝,18章28節より)

百デナリは、現在の価値で100万円ほどです。

家来は、出会った仲間の首を締め、『借金を返せ』と迫ります。

彼は、懇願する仲間に容赦なく、負債を返すまでと言って相手を牢屋に放り込みます。

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そこで、主人は、家来を呼び出し、こう告げます。

わたしがおまえをあわれんでやったように、おまえも自分の仲間をあわれんでやるべきではなかったのか。(マタイ伝,18章33節より)

こうして、家来は、再び負債を負うことになります。

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もし、他人からの仕打ちで心情や身体が被害を受けたなら、その被害感情を癒やすことは難しいです。

なおさらに、そのことで自分が描いていた理想の未来を失ったのなら、相手を赦せないかもしれません。

その相手が同じ地の上にある限り、怨みの感情はつもりにつもります。

なかなか解決の道は見えません。

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しかし、イエス様のたとえは、親なる神様という縦の視点に立ちます。

自分が、神様によって何万倍もの負債を免除された身分であると知ったなら、どうでしょう。

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イエス様は、このたとえをこう言って締めくくられます。

あなたがたもそれぞれ自分の兄弟を心から赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに、このようになされるのです。

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キリスト者は、神と人間の縦の負債を修復し、それと同時に、人間同士の横の負債を修復することになります。

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