【日々のレーマ】
エゼキエル書、1章1節
私がケバル川のほとりで捕囚の民とともにいたとき、天が開け、私は神々しい幻を見た。
【追記】
エルサレムという祖先の地を失った民は、異国の地バビロンに捕囚されました。
捕囚された人々にとっては、祖先の地を失い、神殿は無く、教会も無しに、いかに信仰を保つかが、試練される時代です。
その時代に、神様は、預言者エゼキエルを召命します。
エゼキエル書の第1章は、その召命の場面になります。
彼は、ケバル川のほとりにあって、仲間の捕囚民とともにいました。
そこで、エゼキエルの頭上において、天がひらけます。
目の前には、こうごうしいばかりの幻が、壮大な絵巻物を見るように、次々と展開します。
それらは、輝きに満ち、天空の王座のイメージです。
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それらの幻が一通り終わると、エゼキエルは、それらよりずっと遥か上に、もっと尊い存在を見つけます。
エゼキエル書には、その場面について、こうあります。
彼らの頭上にある大空から声があった。(エゼキエル書,1章25節より)
彼らの頭上、大空のはるか、上の方には、サファイアのように見える王座のようなものがあり、その王座に似たもののはるか上には、人間の姿に似たものがあった。(エゼキエル書,1章26節より)
その方の周りにある輝きは,雨の日の雲の間にある虹のようであり、まさに主の栄光の姿のようであった。(エゼキエル書,1章28節より)
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このようにして、幻よりもはるか上にあって、人間に似た姿をあらわされた存在こそ、神の霊を宿し、主の栄光の姿をあらわす、キリストであったと思われます。
キリストが地上に降臨されるずっと前から、さらには神様による天地創造のみわざの前から、主であるキリストは神様の右の座におられたのです。