教会の執事さんに感謝とエールを

【本日のリマ】

テモテへの手紙第一3章8節~9節
同じように執事たちも、品位があり、二枚舌を使わず、大酒飲みでなく、不正な利を求めず、
きよい良心をもって、信仰の奥義を保っている人でなければなりません。

【追記】

初期キリスト教会の中での《執事》は、現代風に言うなら《総務さん》といった、実務的な奉仕者のことだったと思われます。

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使徒行伝の6章には、教会内で食事の配分をめぐって、いざこざがあったことが記録されています。

そんないざこざを収める役どころとして立てられたのが、《執事》の始まりです。

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冒頭の聖句は、その《執事》に求められる条件になります。

(1)品位があり、(2)二枚舌を使わず、(3)大酒飲みでなく、(4)不正な利を求めず、(5)きよい良心をもって、(6)信仰の奥義を保っている人

そもそもが、《執事》はいざこざを収めるために始まった役どころになります。

そのために、《執事》には、これらの条件を満たして、教会に集まる人々から一目おかれる必要があったことでしょう。

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これらの条件の中で、いざこざを収める役どころとして特筆されるのは、《二枚舌を使わず》かと思います。

いざこざが起きた場合に、人間的にどちらにも良い顔をしようとすれば、器用な人ほど二枚舌を使うことになります。

しかし、そんな二枚舌は、双方の事情に近づき過ぎることになります。

しまいには、双方から言質と矛盾を責められ、板挟みになって、身動きが取れなくなります。

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そのため、いざこざの場では、少しの距離をおいて、神様の立場ですなおに語ることが求められます。

初期キリスト教会の《執事》さんは、そのような方だったと思います。

2000年後の教会の《執事》さんにも、そのままの意味で、日頃の感謝とエールを送ります。