祈りによって本来の自分を取り戻す

【本日のリマ】

マルコの福音書9章29節
すると、イエスは言われた。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出すことができません。」

【追記】

弟子たちは、群衆が見守る中で、子供のからだから悪霊を追い出すことができませんでした。

そのことを聞いたイエス様は、弟子たちの不信仰をこう嘆かれます。

ああ、不信仰な時代だ。いつまで、わたしはあなたがたと一緒にいなければならないのか。(マルコ9章19節より)

イエス様は、弟子に代わって、その子から悪霊を追い出します。

そして、冒頭のイエス様のことばになります。

この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出すことができません。(マルコ9章29節より)

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ここまで読むと、イエス様が嘆いた不信仰の原因が、祈りの不在であったと分かります。

もちろん、弟子たちも、悪霊を追い出すために、力の限りに祈ったはずです。

しかし、イエス様が不信仰と言われるからには、その弟子たちの祈りの主体が、神ならぬものであったことになります。

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これらの出来事のあと、弟子たちは、イエス様の弟子の中で、誰が一番かを競っています。(マルコ9章34節を参照)

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以上の一連の事柄から、こう推測できます。

弟子たちには、衆目の中で自分のちからを誇りたい、自分が一番と認められたいという、過分なストレスがあったかもしれません。

過分なストレスは、神ならぬ偶像になって人を支配(不自由に)しますから、神様への素直な祈りを妨げます。

それが、イエス様が、弟子たちを不信仰と嘆かれた理由の一つかもしれません。

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神様への祈りによることで、人は過分なストレスから離れて、本来の自分を取り戻すことができます。