目のちりを取り除くには

【本日のリマ】

ルカの福音書6章42節より
偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除きなさい。そうすれば、兄弟の目のちりがはっきり見えるようになって、取り除くことができます。

【追記】

自分の悪(目にある梁)は見えなくても、他人の悪(目のちり)は気になるものです。

そうやって、他人の悪を数えあげればあげるほど、さも自分は正しいかのように思えてきます。

そうやって自分の心をだましている内に、自分は偽善者になります。

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そもそも、善と、悪とは、同一の意味をもつものが、相反する目的をもって現れた、その結果を指す言葉です。

けして、天地の始まりから、善と悪が分かれていたわけではありません。

神様に《善》として造られたものが、神以外の目的をもつことで、《悪》に変わったのです。

ですから、《悪》には、《神以外の目的》という原因があるのです。

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その原因が分からずに、他人の《悪》が見えただけで、その《悪》を正すことは到底できません。

まして、こちらの正す目的を誤れば、個人が個人をさばく落とし穴に入ります。

さばいてはいけません。そうすれば、あなたがたもさばかれません。(ルカ6章37節)

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もしも、隣人の《悪》が見えたなら、その悪の目的を、神由来の正しい目的と照らしてみましょう。

その目的のずれが分かることで、それが反面教師になって、自分の悪(目の梁)にも同時に気づきます。

そうして、自分の目的を正せば、自分の悪(目の梁)を取り除くことができます。

その実地体験にならって、隣人の目的を神由来に戻すことで、隣人の悪(目のちり)を取り除くことができます。