《脱出の道》について

昨日の記事にコメントをいただきました。
・・・
<脱出の道も>
ここの部分は知りませんでした。
脱出しても良いのですね。

【追記】

コメントありがとうございます。

《脱出の道》は、翻訳者が苦労する箇所です。

新改訳1970は《脱出の道》ですから、神様は試練の先に《出口》をちゃんと用意しているという意味です。

一方、塚本虎二さん訳では、《逃げ道》と訳しています。口語訳や新共同訳でも《逃れる道》と訳しています。神様は、試練に耐えられるように、試練から緊急避難する別の道も用意しているとなります。

青野太潮さんの『どう読むか聖書の難解な箇所』の36ページには、こうあります。
『この聖書箇所をどう訳すかによって、「苦難」についての私たちの理解は、まったく異なったものとなることでしょう。』

結論として、原語(ギリシャ語)には、両方の意味があることになります。

聖書の翻訳者はどちらか決めないといけないでしょうが・・

信仰者の立場では、両方の意味がそもそもあるのなら、両方の意味で広く捉えるべきかと思います。原語が広いのに、人が狭めてはいけません。

その上で、神様の御心に尋ねる気持ちがあれば、正しい道を選べるかと思います。

(注)《脱出の道》の原語ἔκβασιςは、次のように訳せます。
(1)(試練の)出口
(2)(サタンからの)逃げ道
(3)(目標の)ゴール