与える喜びと、奪われる苦しみ

【本日のリマ】

コリント人への手紙第二8章2節
彼らの満ちあふれる喜びと極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあってもあふれ出て、惜しみなく施す富となりました。

【追記】

パウロは、コリントにおいて、使徒を金銭的に支える兄弟たちの献金に感謝しています。

コリントの兄弟たちは、極度の貧しさの中にあります。

しかし、兄弟たちは、使徒たちの活動を献金で支えることに喜びを感じていたのです。

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人は、持ち分を隣人に与えるとき、自分の持ち分は減ります。

しかし、自分から与えているので、人は与える喜びを実感できます。

その喜びは、貧しい中にあっても、その人の活きるちからとなります。

コリントの兄弟は、喜んで施すことで、極度に貧しいのに、惜しみなく愛を施す富者となったわけです。

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その逆もあります。

人は、持ち分を隣人に奪われるとき、自分の持ち分が減ります。

人は、奪った相手を怨み、わずかでも減った分を怨んで、奪われた苦しみを感じます。

その苦しみは、奪われた者から、さらに活きるちからを削ぎ落とします。

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このことが分かれば、献金をするときは、《与える喜び》でなければなりません。

もしも、献金をするときに、《奪われる苦しみ》を感じるなら、献金をしてはいけません。

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パウロは、こうとも言っています。

喜んでする思いがあるなら、持っていないものに応じてではなく、持っているものに応じて受け入れられるのです。(コリント第二8章12節)

なによりも《喜んでする思いがあるなら》が大切です。