【本日のリマ】
ヨハネの黙示録19章10節
私は御使いの足もとにひれ伏して、礼拝しようとした。すると、御使いは私に言った。「いけません。私はあなたや、イエスの証しを堅く保っている、あなたの兄弟たちと同じしもべです。神を礼拝しなさい。イエスの証しは預言の霊なのです。」
【追記】
ヨハネは、御使いが黙示する内容に感銘して、御使いの足もとにひれ伏します。
すると、御使いは、ヨハネやその兄弟たちと同じしもべであるから、私を礼拝してはいけないと注意をします。
神様を礼拝しなさいと。
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どんなに優れた人間や天使であっても、神様とキリスト以外は、伝令者であって、神様のメッセンジャーに過ぎません。
間違えて、唯一なる神以外を礼拝すれば、それは偶像崇拝になります。
唯一なる神様から世界も生命も出発したように、唯一なる神様とその御子キリストの他に、生命に至る道はありません。
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さらに、神様とキリストの言葉は、人の良心(自由責任)に働きますから、人に強制したり、支配したり、することはありません
万一にも、9割方の正しい言葉で人を惹きつけて支配しようとする存在があれば、その背景は堕落した霊的存在と判断できます。
私たちも、人に何かを教えたいときは、相手の良心(自由責任)に話す気持ちで、間違えても相手を支配してはいけません。
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(注釈)「イエスの証しは預言の霊なのです。」について
この部分はどう解釈すべきか、私には分かりません。
無教会派の塚本虎二さんは、前文の内容を考慮して、次のように意訳しています。ご参考までに引用いたします。
塚本訳1963
イエスの証明とは預言の霊で(あり、お前も私も共にこれを有っているので) ある(から)!