【本日のリマ】
伝道者の書3章12節
私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか、何も良いことがないのを。
【追記】
この12節の聖句だけ読むと、つい刹那的な人生観かと、思ってしまいます。
しかし、それは違うようです。
《私は知った》で始まるので、何を知ったから、こう思ったのかになります。
そのために、一つ前の11節を、よく見てみましょう。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。(伝道者の書3章11節)
人生には、山があっても谷があっても、すべて神様がなさることであって、振り返って見ればすべて時にかなって美しかった。
そのことを今知ったので、人生の山も谷も、すべて神様が与えた美しいものとして、善いものとして、楽しむべきだ。
・・・ということが、冒頭の聖句での気づきなのだとわかります。
そう考えると、冒頭の聖句の《良いこと》に、天地創造の時に神様が人間に言われた《はなはだ良かった》と、同じヘブル語の単語が使われていることの意味が分かりますね。
人生の山谷を振り返って、神様の善きものとできる人生にいたしましょう。
・・・
こちらを読んだ信仰の先輩から、こちらの聖句を教えていただきました。
•「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということをわたしたちは知っています。」
(ローマの信徒への手紙八章二十八)
聖句ありがとうございます。
神様のご計画のもとに、万事(!)が益になるように共(!)に働くというのは、とても深いと思います。
神様と万事のためなら、お一人お一人の人生の意味が一層に深くなりますね。