唯一なる根源から考えてみよう

【本日のリマ】

ガラテヤ人への手紙6章8節
自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。

【追記】

パウロが言う《肉》の意味を、拡大解釈するなら、唯物論になりそうです。

唯物論は、物質を根源として、物質のみで被造世界を考える極端な立場です。

唯物論で人間が生きる目的を考えようとすると、根源とする物質に立ち戻って考えなければなりません。

しかし、物質に立ち戻っても、納得する答えは得られず、人生の真の目的は分からないでしょう。

なぜ、唯物論で人生の目的が分からないのでしょう。

それは、《神様が被造世界を創造した》のであって、根源は物質でなく、神様だからです。

お一人お一人が、根源である神様に尋ねることで、ご自分が造られた目的、すなわち生きる目的が明らかになります。

このように、唯物論には根源を取り違えている点で限界があります。

・・・

さて、唯物論の対義語は、唯心論になります。

この唯心論では、心の根源が曖昧になります。

人間の心を根源としては、無神論になりそうです。

物質の根源が神様なら、心の根源も神様です。

総じて言えば、すべての始まり(太初)は、唯一なる神様です。

唯物論と唯心論の両方を突き詰めると、唯一なる神様を根源とする唯一論に至るということでしょう。