【本日のリマ】
イザヤ書63章9節
彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、主の臨在の御使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって、主は彼らを贖い、昔からずっと彼らを背負い、担ってくださった。
【追記】
信仰の民は、エジプトで奴隷になる苦難や、国破れて捕囚になる苦難を通過します。
冒頭の聖句から分かることは・・
彼らが苦しんでいたとき、主も彼らと苦しみを共にされていたということです。
子が苦しいとき、平気な親はいません。親なる神様は一緒に苦しまれるのです。
・・・
昔、聴いたお話(出典元不明)です。
人が、順調な生活を送っています。
そのときに、その人は夢を見ました。
夢の中で、長い砂道を一人で歩いています。
ふと振り返ると、歩いた道に二人分の足跡がついています。
はっと、その人は気づきます。
ああ、主が一緒に歩いてくださっているのだと。
その人は、夢から覚めて感謝します。
・・・
しばらくすると、その人は、苦しい生活になりました。
そのときに、再び同じ夢を見ます。
夢の中で、長い砂道を一人で歩いています。
人は、二人分の足跡を期待して、後ろを振り返ります。
しかし、そこには一人分の足跡しかありません。
ああ、自分が苦しい今、主は離れてしまったと。
しかし、そこで主の声を聞きます。
『その足跡は、おまえたちを背負って担ったわたしの足跡だ。』
その人は、夢から覚めて今まで以上に感謝します。