《神を畏れる》と《神を恐れる》

【本日のリマ】

伝道者の書12章13節
すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。

【追記】

人間が、神様を《おそれる》場合は、畏敬や畏怖に使う《畏れる》という漢字になるでしょう。

神様に《畏敬の念》を持つことが、《神をおそれる》ことの始まりだからです。

つまり、尊敬や感謝の念から自然に、畏れ入るという状態です。

誰かから強制されて、恐れ入るのではなく、自分自身が心の底から頭が下がる状態で、《自然屈服》するということです。

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ここで、旧約聖書の《おそれる》の原語の意味を調べると、怖がるだけではなく《道徳的に尊敬する》の意味がちゃんとあります。《神を畏れる》という意味で間違っていません。

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さて、《神を畏れる》と翻訳しているのは、『新共同訳聖書』と『文語訳聖書』になります。

一方、《神を恐れる》と翻訳しているのは、『口語訳聖書』と『新改訳聖書』です。

後者は、日本語として平易な漢字を使うことを目指したためかもしれません。

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私も、恐怖の意味で《神を恐れる》ものだと、ずっと信じていました。

しかし、恐怖の意味で《神を恐れる》と、恐怖信仰や、ご利益信仰になってしまいます。

『触らぬ神に祟りなし』になれば、聖書の言葉が本末転倒になってしまうでしょう。

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これからは、神様に畏敬の念をこめて《神を畏れる》ことにいたしましょう。