義人ヨブの叫び

【本日のリマ】

ヨブ記30章26節
私は善を望んだのに、悪が来た。光を待ったのに、暗闇が来た。

【追記】

かつてのヨブは、町の人々から栄光と尊敬を受ける存在でした。

ヨブは、町のみなしごを助け、盲人の目となり、足萎えの人の足になるような義人でした。

ヨブ記29章は、その頃のことをヨブが思い起こす場面です。

一方、続くヨブ記30章は、《しかし今は》から始まります。

今のヨブは、数々の不幸と病の中にあって苦しんでいます。

そして、何よりヨブにとってつらいのは、神様が沈黙していることでした。

私があなたに向かって叫んでも、あなたはお答えになりません。(ヨブ記30:20)

このヨブ記の背景には、何があったのでしょう。

ヨブ記2章には、ヨブの過去の言動を引き合いにした、神様と、狡猾なサタンとの交渉があったのです。(ヨブ記2章参照)

そのために、神様は、ヨブのことを一旦は沈黙して見捨てざるをえませんでした。

・・・

このヨブが神様に見捨てられる苦しみを、多くの人が我が身のように感じ、十字架の上のイエス様の孤独になぞらえています。

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イエス様も、主の御子として栄光と尊敬を受ける立場で産まれました。

それなのに、十字架につくイエス様を、ヨブのときのように、神様は一旦は沈黙して見捨てざるをえませんでした。

サタンの最大の実権行使は、人間の罪を人質に、イエス様の肉体を殺して奪うことだったのです。

これに対する神様の最大実権行使は、サタンの主管下で死んだ立場のイエス様を復活させ、人質になった人間を霊的に贖罪して、神様の元に取り戻すことにありました。

このように義人が無実の苦しみを受けるとき、それはより多くの人々の救いのためなのかもしれません。