【本日のリマ】
ルカの福音書18章9節
自分は正しいと確信していて、ほかの人々を見下している人たちに、イエスはこのようなたとえを話された。
【追記】
ここでのイエス様のたとえには、パリサイ人と取税人が登場します。
パリサイ人は、ユダヤ教の律法を厳格に守るパリサイ派に属する人です。
取税人は、宗主国であるローマのために税金を集める人たちであって、同胞のユダヤ人から裏切り者のように嫌われる人です。
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この二人が宮に入って、一緒に祈ります。
パリサイ人は、こう祈ります。
『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。』(ルカ18:11)
一方の取税人は、こう祈ります。
取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』(ルカ8:13)
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さて、イエス様は、どちらの人が義と認められると言われたでしょうか。
パリサイ人は、義とは認められませんでした。
義と認められたのは、取税人の方でした。
そして、イエス様はこう言われました。
『だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。』(ルカ18:14)
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これについて、イエス様は、ルカ福音書の14章でどう身を処したらよいかを具体的に教えています。
招かれたなら、末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『友よ、もっと上席にお進みください』と言うでしょう。そのとき、ともに座っている皆の前で、あなたは誉れを得ることになります。(ルカ14:10)
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補足:元から日本人は謙譲の美徳を持っています。イエス様が、冒頭のたとえを話したのは、《自分は正しいと人々を見下している人たち》に対してです。悔い改めは悔い改めとして、極端に走らないことも。