【本日のリマ】
ヨハネの福音書7章41節
別の人たちは「この方はキリストだ」と言った。しかし、このように言う人たちもいた。「キリストはガリラヤから出るだろうか。
【追記】
《キリストはガリラヤから出るだろうか》と、イエス様を不信しています。
イエス様が育ったのは、ナザレの町(ガリラヤ地方)であって、旧約聖書に預言された地ベツレヘムではありませんでした。
ちなみに現代であれば、イエス様がダビデの町ベツレヘムで預言通りに産まれたことは、多くの人が知っています。
しかし、当時の人々には、そこまで詳しいことは知りえなかったのです。
そのため、イエス様のキリスト証明であるはずの旧約の預言が《つまづきの石》になっていました。
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一方、イエス様の弟子になるナタナエルも、友人からイエス様を紹介されたとき《ナザレから何か良いものが出るだろうか》と最初は不信していました。
しかし、ナタナエルが、正面からイエス様に向き合って、声を聞くことで、(聖霊に満たされて)イエス様が何者であるかを悟ります。(ヨハネ1:45-51参照)
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ここに、キリストであるイエス様を《風評で知るか/正面から知るか》の違いがあります。