【日々のリマ】2023年2月8日(水)
ルカの福音書7:34-35
人の子が来て食べたり飲んだりしていると、『見ろ、大食いの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』と言います。しかし、知恵が正しいことは、すべての知恵の子らが証明します。
【追記】
イエス様の周りに集まった人々は、大食いの大酒飲み、取税人や罪人が多かったのです。
そのため、人々はイエス様をその仲間だと蔑んだということです。
大食らいの大酒飲みというのは、生活が乱れた人です。
取税人は、宗主国であるローマのために税を取り立てる人々であり、同時にその一部を懐に入れている人(公金問題に引っかかる人)です。
また、罪人とは、ここでは特に神の法である律法を破る人です。
イエス様ご自身も、大工ヨセフの家の出であり、祭司などの特別な家の出ではありませんでした。
このようにキリストの集団は、この世的に見れば、蔑まれる群れだったのです。
そのために、外見を気にする当時の人々は、イエス様のもとには来ませんでした。
なぜ、そのような罪深い人々が、イエス様のもとに集まったのでしょうか。
名医のいる病院には、よそで直せなかった病人が集まります。
だからと言って、手に負えない病人が集まるという理由で、名医のことを蔑む人はいません。
医者としての価値は、その手に負えない病人が如何に直ったかです。
イエス様のキリストとしての価値も同様です。
手に負えない罪人が如何に変わったかが、イエス様の価値になります。
そのことを、冒頭の聖句の後半で、イエス様がハッキリと伝えています。
しかし、知恵が正しいことは、すべての知恵の子らが証明します。(ルカ7:35)
ここでの知恵は、この世の知恵ではありません。神様から授かる正しい知恵(真理)のことです。
正しい真理のところか否かは、そこに集まった罪人が如何に変わったかで証明されるという意味です。
そうやってよく見れば、蔑まれたキリストの集団は、真理に触れて自らの罪深さに涙を流す群れでもあったのです。
すると見よ。その町に一人の罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油の入った石膏の壺を持って来た。そしてうしろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらイエスの足を涙でぬらし始め、髪の毛でぬぐい、その足に口づけして香油を塗った。(ルカ7:38)