神様は、あなたが耐えられない試練は与えない

【日々のリマ】2023年1月13日(金)

エゼキエル書4:16
そして私に言われた。「人の子よ、見よ。わたしはエルサレムで、パンの蓄えをなくそうとしている。彼らは恐る恐る量ってパンを食べ、おびえながら水を量って飲む。

【追記】

エゼキエル書4章は深刻で厳しい内容です。
それなのに神様の愛を感じる章でもあります。

神様は、エゼキエルに、エルサレムが敵軍に包囲されてユダヤ人が困窮する未来を知らせます。

それは、言葉による預言ではありません。

神様は、民が困窮する未来を、エゼキエルに先に体験せよと命じるのです。

包囲に相当する期間、エゼキエルには、寝返りをうつなと言われます。
(390日は左脇を下にし、40日は右脇を下にしろ)

さらに、その期間、パンは1日220グラムほど、水は1日630CCほどと、細かく決められます。

特に、大麦のパンは、人糞を燃料にして焼くよう神様から命じられます。
(日本では、糞を燃料とは考えませんが、乾燥した地域では糞が燃えて燃料になります。)

このときだけ、エゼキエルは、人糞で焼く汚れたパンは食べられないと、神様に抗議します。

そこで、神様は、牛糞を燃料にしてパンを焼いてよいと許可します。

このエゼキエルの抗議《人糞はいやだ》に対して、神様が代替策《牛糞でどうだ》の箇所は、深刻な命令でありながらも、互いの信頼関係が感じられて面白いです。

正しいエゼキエルに、イスラエル全体の咎を負わせないといけないという、神側の事情も感じます。

なんとなくの私見ですが・・・

ここでの神様は、エルサレムの民が試練に耐えられるかを、エゼキエルの体力をもって人体実験(?)しているのでは・・・と思えてきます。

神様の願いは、エルサレムの民たちに、この期間を耐えてもらうことです。

それをエゼキエルで試しているのではと。

次の聖句からもそれを感じます。

神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。(コリント第一10:13)

もしも試練を受けていると感じたなら、この聖句をすぐに思い返しましょう。

その試練には、意味があって、神様の願いがあると分かります。