捕囚の民の運命と、残る民の運命

【日々のリマ】2023年1月14日(土)

エレミヤ書29:12
あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。

【追記】

エレミヤ書29章は、南朝ユダ王国がバビロンに敗れ、一部の民がバビロンに捕囚された時代です。

南朝ユダの王エホヤキンは、バビロンに連行されます。

バビロンは、南朝ユダの王にゼデキヤを立てます。

エルサレムを出た捕囚の民と、エルサレムに残る民と、同胞でありながら民族の運命が二分されます。

どちらも敵国バビロンの支配下にあるわけですから、捕囚になっても、残っても、楽な運命ではありません。試練の多い運命です。

試練が多い中にあって、どちらの民に神様は、より願いを託すでしょうか。

神様は、エレミアを通して、二つの民それぞれの運命(予定)を伝えます。

まず、捕囚の民に対する運命(予定)は、こうです。

エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。家を建てて住み、果樹園を造って、その実を食べよ。(エレミヤ29:4-5)

妻を迎えて、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻を迎え、娘を嫁がせて、息子、娘を産ませ、そこで増えよ。減ってはならない。(エレミヤ29:6)

わたしがあなたがたを引いて行かせた、その町の平安を求め、その町のために主に祈れ。その町の平安によって、あなたがたは平安を得ることになるのだから。(エレミヤ29:7)

あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。(エレミヤ29:12)

神様は、捕囚の民と共にいることを宣言します。もちろん、無条件ではありません。神様は【わたしに呼びかけ、来て、祈るなら】と人間の自由意志(責任)による予定もちゃんと与えています。

一方、南朝ユダに残る民の運命(予定)は、こうです。

出て行かなかったあなたがたの同胞について、万軍の主はこう言われる。『見よ。わたしは彼らの中に剣と飢饉と疫病を送り、彼らを悪くて食べられない腐ったいちじくのようにする。(エレミヤ29:16-17)

わたしは剣と飢饉と疫病で彼らを追い、彼らを地のすべての王国にとっておののきのもととし、わたしが彼らを追い散らした先のすべての国々で、のろいと恐怖のもと、嘲りとそしりの的とする。(エレミヤ29:18)

わたしは彼らに、わたしのしもべである預言者たちを早くからたびたび遣わしたのに、あなたがたは聞かなかったのだ──主のことば。』(エレミヤ29:19)

アブラハムの子孫である選びの民の使命は、エルサレムを出る捕囚の民に託されるのです。

それは、後の歴史によって実証されます。

数十年の後、捕囚の民が解放されて、廃墟になったエルサレムを取り戻し、その系譜からイエス様(キリスト)が地上にお生まれになるからです。