【日々のリマ】2023年1月8日(日)
エレミヤ書39:14
人を遣わして、エレミヤを監視の庭から連れ出し、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤに渡して、家に連れて行かせた。こうして彼は民の間に住んだ。
【追記】
南朝ユダ王国の最後のとき、バビロンによってエルサレムの城壁は打ち壊され、王宮も民の家も火で焼かれました。
このとき、都に残ったユダヤ人をバビロンへ捕らえ移したのは、バビロンの親衛隊長です。
この親衛隊長の態度は、敗れたユダヤ人に対して丁重でした。
彼は、亡国ユダの地に何も持たないユダヤ人を残すに当たって、配慮してぶどう畑と畑地を与えています。
また、彼は、亡国ユダの預言者エレミアに対して、尊敬の念を示します。
何より、バビロン王自身が、預言者エレミアのことを知っていて、エレミアに悪いことをするなと命じていたのです。
親衛隊長は、エレミアを自由の身にするときに、わざわざ連れ出して、こう告げます。
あなたの神、主は、この場所にこのわざわいを下すと語られた。そして主はこれを下し、語ったとおりに行われた。あなたがたが主の前に罪ある者となり、その御声に聞き従わなかったので、このことがあなたがたに下ったのだ。(エレミア書40:2-3)
エレミアが語っていた通りのことを、敵国の親衛隊長がエレミアに語るのです。
聖書のこの箇所を読むと、異邦人の親衛隊長が主なる神様を信じているように思えます。
選びの民ユダヤ人の敵国バビロンといえば、どうせ悪の勢力だと単純に思いがちです。
しかし、その親衛隊長でありながら、信仰と態度において立派なのです。
(聖書には書いてありませんが、数年前からバビロン王の近くに仕えている預言者ダニエルたちの信仰態度が、バビロン側に善い印象を与えていたのかもしれません。)
そう考えると、主の都エルサレムの陥落とバビロン捕囚の出来事は、神様による【救いの裁き】であったとも思えてきます。
そのことは、神様ご自身が、エレミアを通して、バビロン王のことを【わたしのしもべ(エレミア書25:9,27:6,43:10 )】と三度も呼んでいることから明らかではないでしょうか。
亡国の敵が、神様の【救いの裁き】であったと悟ることも、バビロン捕囚の民にとって大切な自由意志(責任)であったかもしれません。