二つの救いについて

【日々のリマ】2023年1月7日(土)

コリント人への手紙第二5:2
私たちはこの幕屋にあってうめき、天から与えられる住まいを着たいと切望しています。

【追記】
パウロは、十字架の福音を受けて、天から与えられる住まい(霊の体)において贖罪されたことを実感します。それは、救いの実感(聖霊体験)として、多くのクリスチャンが実感するところでもあります。

そのパウロであっても、地上の住まいである幕屋(肉の体)については、うめいています。

ローマ7章を見てみましょう。ここでパウロは、もっと直接に説明します。

私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいますが、私のからだには異なる律法があって・・・私を、からだにある罪の律法のうちにとりこにしていることが分かるのです。(ローマ7:22-23)

パウロは、イエス様の十字架の福音を信じることによって、霊の体が贖罪され、その霊性が研ぎ澄まされています。それゆえに、パウロにとっては、自分の肉の体に潜む罪が一段と明確です。

すなわち、霊の体においては救われて神の所有になっても、肉の体はいまだに悪(サタンの勢力)の支配を受けているという事実です。

これこそ、罪の始まり、すなわち原罪が、霊の堕落と、(霊と)肉の堕落の二つによって始まったことの重要な証左です。

したがって、原罪の完全な贖罪のため、霊的な救いの他に、霊肉共の救いが必要になります。

その点において、イエス様が、人々に伝えようとした福音は、十字架の福音だけではありませんでした。

ルカ第4章にこうあります。

イエスは、彼らにこう言われた。「ほかの町々にも、神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。」(ルカ4:43)

地上に神の国(原語では『王国』)を来たらしめるというキリストの福音です。

これこそが、霊肉共の救いのために、キリストが地上に霊肉をもって再び来られる必然の理由になります。