『捨てる』の意味を考える

【日々のリマ】2023年1月4日(水)

ルカの福音書18:29-30
イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに言います。だれでも、神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者は、必ずこの世で、その何倍も受け、来たるべき世で、永遠のいのちを受けます。」

【追記】
神の国を選択して、家、妻、兄弟、両親、子どもを【捨てる】といえば、❝切り捨て❞になります。
イエス様は、本当にそう言いたかったのでしょうか。

そこで、【捨てる】の原語【αφηκεν】について調べてみました。

冒頭の聖句に近い文脈において、原語【αφηκεν】を異なる日本語に訳している聖句を抜粋するとこうなります。

彼らはすぐに舟と父親を『残して』イエスに従った。(マタイ4:22)

ささげ物はそこに、祭壇の前に『置き』、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。(マタイ5:24)

九十九匹を山に『残して』、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。(マタイ18:12)

これらの訳例から考えると、原語【αφηκεν】は、【置いて離れる(leave)】の意もあります。

・・・人が、自転車を駅に【置いて離れた】とします。

その人は自転車を捨てたのでしょうか。

いいえ、捨てていません。いずれ戻るまで、自転車を置いただけです。

さらに、冒頭の聖句に戻りましょう。

では、イエス様は、【神の国】以外は切り捨ててよいと言われたのでしょうか。

・・いいえ、切り捨てでは、一つを選択できても、残りは皆無になりますから、極端に過ぎます。

【神の国】が第一義であるという優先順位の話を、イエス様は言われたと思います。

有名なイエス様の聖句(マタイ22:37-39)に、【第一の戒め:神様を愛すること】、【第2の戒め:隣人を愛すること】とある通りです。

神の国のために、過去に親を『置いて離れた』人は、親を捨てた人ではありません。

何よりも神様を愛するという『第一の戒め』を優先した人です。

次には、『第二の戒め』として、隣人(もちろん家、妻、兄弟、両親、子どもを含む)を愛しましょう。それを冒頭の聖句は禁止していません。

そこで、善と善が両立します。

そうしてこそ、この世で恵みを何倍も受け、来たるべき世で永遠のいのちを受けることになります。