【日々のリマ】2023年1月5日(木)
詩篇89:38
しかし あなたは拒んでお捨てになりました。 あなたは 激しく怒っておられます。 あなたに油注がれた者に向かって。
【追記】
詩篇89篇は、主に対する三部構成の歌です。
第一部の歌(1~18節)は、主への賛美です。
主の御恵みはとこしえに打ち立てられ、主の真実は天に堅く立てられると、賛美します。
第二部の歌(19~37節)は、キリスト降臨への賛美です。
キリストがダビデ王の血統に降臨すると、主が約束されました。そのことを賛美します。
第三部の歌(38~52節)は、いまだキリストが降臨しないことへの嘆きです。
ダビデ王の血統にキリストが降臨すると、かつて主が約束されました。それなのに、選びの民ユダヤ人にとって、期待していたキリストの降臨がないことへの絶望は、主のご計画への不信に変わります。
事実、南朝ユダ王国の都エルサレムはバビロンによって壊滅され、主の足台であるエルサレム神殿は廃墟になってしまいました。
主よ、あなたのかつての恵みは、どこにあるのでしょうか。主がダビデ王に誓われたはずなのにと。
今、主の敵たちは、私たちを誹謗しています。私たちは、その恥辱を胸に耐えています。
このように、詩篇89篇は、主のご計画を不信したまま、終わります。
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ユダヤ人は、眼の前のことに勝手な自信と期待を持っては、たびたび挫折します。
しかし、それも含めたすべてが、主のご計画の内です。
バビロンに捕囚された数十年の期間を、ダビデ王の子孫は信仰を持って耐えます。
その信仰を持って耐え忍んだ民の中から、イエス様が立たれました。
選びの民ユダヤ人の自由意志(責任)のもとに、主のご計画(予定)はなされていたのです。
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勝手な自信と期待はだめです。勝手な自信と期待は、やがて絶望から不信に変わるからです。
その自信と期待が叶わず、不信の事態になったときこそ、善悪が交差する終末の時です。
人として、主のご計画を、自由意志(責任)で果たすときです。
主のご計画は、人の自由意志(責任)とともに、必ず成就する絶対的な予定と信じましょう。