偽りが隠す本然の姿

【日々のリマ】2022年12月29日(木)

マラキ書3:15
今、私たちは高ぶる者を幸せ者と言おう。悪を行っても栄え、神を試みても罰を免れると。

※新改訳2017版の聖書では、ひらがなの「わたし」は神様キリストのことです。漢字の「私」は人間のことです。

【追記】
冒頭の言葉は、人が神様に悪態をついたセリフになります。

ただし、この人の悪態は、自信や誇りがなく、虚勢をはっているようにも見えます。

それは、本心ではなく、偽りの心で言っているからでしょう。

この人には、偽りの心が隠している本心があるはずです。

私自身の本心に照らしてみましょう。

その本心の声で、先の悪態を読み解いてみましょう。

「本当は、私は高ぶらない者を幸せ者と言いたい。」
「本当は、善を行うものが栄えて欲しい。」
「本当は、善なる神様と交流する生き方がしたい。」

悪態をひっくり返した本心にこそ、その人の本然の姿があります。