【日々のリマ】2022年12月27日(火)
マルコの福音書7:11-12
それなのに、あなたがたは、『もし人が、父または母に向かって、私からあなたに差し上げるはずの物は、コルバン(すなわち、ささげ物)です、と言うなら──』と言って、その人が、父または母のために、何もしないようにさせています。
【追記】
イエス様は、ユダヤ社会のしきたりを嘆いています。
当時、変なしきたりがあったのです。
ある人が、神殿に献金や捧げ物をしたために、年老いた親の面倒を見ることできなくなったとします。その場合、神殿への献金や捧げ物の方が大切なので、親の扶養はしなくてよいというものでした。
神様をとるか、親をとるかという二つの善の岐路に立たされたら、親を捨てるという極端なしきたりです。
そのようなしきたりの根拠は、律法のどこにもなく、神様から来たものでもありませんでした。
混同される方がいるといけませんが、黙示録3:15の【むしろ、冷たいか熱いかであってほしい】は信仰の熱意の話であって、神様か親かといった二者択一を人に迫る話ではありません。
そもそも先の例であれば、神殿への献金や捧げ物は、親の扶養分もろもろを見込んだ上で、個人の自由意志(責任)で計画的に行えば済む話です。
二つの善は両立しうるのです。一方しか見えなくなるのは、人の狭い了見ゆえです。
冒頭の聖句を改めて読んでみましょう。イエス様は、そのことも嘆いておられます。