善と偽善の違い

【日々のレーマ】2022年12月26日(月)

ルカの福音書6:42
あなた自身、自分の目にある梁が見えていないのに、兄弟に対して『兄弟、あなたの目のちりを取り除かせてください』と、どうして言えるのですか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除きなさい。そうすれば、兄弟の目のちりがはっきり見えるようになって、取り除くことができます。

【追記】
大概のことにおいては、善と偽善に境界を設ける必要はなく、いずれも良心の賜物でしょう。

もしも、小さなことで隣人を偽善者と感じるなら、【やっかみ】という自分の目の中にある梁が見えていないことになります。お互いに讃え合いましょう。

一方、イエス様は、別の意味の【偽善】について、繰り返し警告をしています。

マルコ7:6 【イザヤは、あなたがた偽善者について見事に預言し、こう書いています。この民は口先でわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。】

マタイ23:13【わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは人々の前で天の御国を閉ざしている。おまえたち自身も入らず、入ろうとしている人々も入らせない。】

ルカ12:56【偽善者たちよ。あなたがたは地と空の様子を見分けることを知っていながら、どうして今の時代を見分けようとしないのですか。】

イエス様は、どんな人々を【偽善者】と言われるのでしょう。

それは、神様の聖霊の実体としてキリストが来られたのに、キリストを知らずに『自分の善』を伝える人々のことです。

たとえその人の本意でなくとも、自分の善に惹きつけることで、人々をキリストから遠ざけるという、わざわいの結果になっています。その意味で【善】にはならず【偽善】になります。

自分が讃えられる前に、神様とキリストを讃えましょう。

その気持を一言で表す美しい四字熟語があります。【栄光在主】と讃えましょう。