主の御心を尋ねる祈り

【日々のレーマ】2022年12月2日(金)

マタイの福音書5:34
しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。天にかけて誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。

【追記】
旧約聖書(伝道の書5:4-5、レビ記19:12など)には、「主の名によって偽って誓ってはならない」とあります。

イエス様は、その旧約の教えをさらに深めて、「天にかけて誓ってはいけません」にしました。

イエス様の「天にかけて誓ってはいけない」の理由は何でしょう。
それが分かるのは、次の箇所です。

5:37 あなたがたの言うことばは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』としなさい。それ以上のことは悪い者から出ているのです。

『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とは、神様の御心のままにという意味です。
御心から外れれば、悪い者から出ているからです。

「神様の御心を尋ねる」のは、主のご計画が人の誓い(決意)より先にあるからです。
主のご計画の範囲において、人は良心という羅針盤をたよりに自由意志で進むのです。

一方、「天にかけて誓う」は、先に人の誓い(決意)があるので、自分で進む方向を決めていることになります。

そうして主のご計画からはずれれば、人の誓いは自分勝手なもの(悪い者から出る偽りや功名心)だったとなります。

2001年からですが、私達の教会は、祈りの締めくくりの言葉を「神様の御前に祈祷します」から「神様の御前に報告します」に変更しました。

御言選集第343巻106頁(2001・1/16、米国)
【祈祷の代わりに報告を捧げるのです。完成したアダムの家庭では、祈祷をする必要がなく、報告を捧げればよいというのです。】

以前の『祈祷』には、人の決意を『天にかけて誓う』という印象が(人にもよりますが)ありました。

一方、現在の『報告』には、そこまでの印象はありません。むしろ、神様への報告・連絡・相談(ほうれん草)ですから、神様の御心を自然に尋ねます。

そうであれば、旧約の教え(主の名で偽って誓うな)にも、イエス様の教え(天にかけて誓うな)にも、どちらにもかなっていますね。