【日々のレーマ】2022年11月25日(金)
マラキ書1:6
わたしの名を蔑む祭司たち。しかし、あなたがたは言う。『どのようにして、あなたの名を蔑みましたか』と。
【追記】
マラキを通して、主は言われます。
主の祭壇に汚れたパンを捧げながら、祭司たちは「主の食卓は蔑まれてもよい」と思っていると。
祭司たちは、主の名を利用して、行動に走っていたのかもしれません。
行動に走れば、実績を出す者が正しいとなるでしょう。
その状態は、知らぬ内に、出発点である信仰を徐々に弱くします。
信仰が弱まれば、実績のために何をしてもよいという理屈(汚れたパン)になるかもしれません。
そうなれば、詐欺師の心と変わりません。
問題は、祭司たちだけではなかったかもしれません。
見えていたのに見ないふりをしていた傍観者にも責任があるからです。
そうであれば、人を責められません。
それでも、厳しいはずのマラキ書の初めには、こうあります。
マラキ書1:2【わたしはあなたがたを愛している】
主の言葉は、どのような状況になろうと、信仰の義への立ち返りを求めています。