【日々のレーマ】2022年11月16日(水)
エゼキエル書40:20
彼は外庭にある北向きの門の長さと幅を測った。
【追記】
(エゼキエル書については、過去のレーマで取り上げていますのでそちらの再掲になります。)
語るエゼキエルは、バビロンの地にあって捕囚の身でした。
このバビロン捕囚の時代、エルサレムの神殿は荒廃しています。
主がエゼキエルに見せているのは、朽ちた地上の神殿ではありません。
神の威容を表す天上の神殿であって、朽ちることのない永遠の神殿です。
このような神殿をどのように捉えるべきでしょう。
原理講論後編2章2節(2)にはこうあります。
【イエスはエルサレムの神殿を自分の体に例えられた(ヨハネ2:21)。】
【それゆえに、神殿はイエスの形象的な表示体であるといわなければならない。】
つまり、神殿は、キリストの代わりです。
キリストがまだ地上に来られる前、地上にあってキリストの代わりをしたのが、契約の箱であり、神殿でした。
そこから考えると、エゼキエルが見ている朽ちない神殿に、本神殿としてのキリストを感じます。