民衆への最後の説教

【日々のレーマ】2022年11月4日(金)

ヨハネの福音書12:49
わたしは自分から話したのではなく、わたしを遣わされた父ご自身が、言うべきこと、話すべきことを、わたしにお命じになったのだからです。

【追記】
イエス様は、多くのしるしを民衆の前で行いました。
しかし、民衆の多くはイエス様を信じることができませんでした。

そのため、イエス様は、不信の民衆に対して大きな声になりました。
わたしを信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わした神様を信じることだと。

イエス様には、地上で残された時がありませんでした。
イエス様が、民衆に不信されたまま十字架につけば、地上に何も残さずに天に帰ることになります。

12:48【わたしが話したことば、それが、終わりの日にその人をさばきます。】

救いをもたらすはずであったイエス様のみことばが、それを聞こうとしなかった不信の民衆を結果としてさばくことになるのです。
それは、イエス様にとってどれだけ不本意なことだったでしょう。

ここでのヨハネ福音書12章の最後の数節は、民衆に向けた最後の説教になります。
そこでのイエス様は、それまで人々に愛を説いてきたイエス様の説教とは一変します。

この最後の数節において、イエス様は、兎にも角にも【わたしを信じなさい】ということしか言っていないのです。

ここでのイエス様のお気持ちを思うとき・・
十字架は神様が予定した人類救いの成就ではなく、霊的な救いであったこと。
十字架のその後に復活して弟子を再び集めえたことこそが、神様の人類救いへの希望であって将来への引き継ぎと感じるのです。