母の嘆き

【日々のレーマ】2022年10月7日(金)

エレミア書 10:20
私の天幕は荒らされ、そのすべての綱は断たれ、私の子らも私から去って、もういない。もう私の天幕を張る者はなく、その幕を広げる者もいない。

【追記】
エレミア書10章は、バビロンに敗れたエルサレムの場面です。

陥落したエルサレムは、バビロンの軍勢に包囲されています。
そのエルサレムにあって、一人の母が泣きます。

バビロンによって、家々の天幕は荒らされてしまった。
我が家には、天幕を張りなおす子供たちはいない。

子供たちはバビロンに捕らえられ、捕囚として連れ去られてしまった。
先の分からない町にあって、荒屋に母一人だけが残されている。

バビロン捕囚において、このような悲しい家族の別離があったのだと分かります。

神様からの事前の警告は預言者を通して十分にありました。
それでも、人は、明日の自分のこととは考えられませんでした。
いざ事が起きてみれば、我が身には一瞬であり一生のことになりました。

そして、エレミアが主への告白をします。

エレミア書10:23
【主よ、私は知っています。人間の道はその人によるのではなく、歩むことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。】

もしも後悔に沈むなら、心の内に沈まずに、私を見ている神様の御心を尋ねましょう。
神様は、私の嘆きを知ってくださいます。
父親が帰ってきた我が子を迎えるが如く、父なる神は広い腕(かいな)で受け入れてくださいます。

そして悲しいときこそ為に生きる善い機会です。
悲しみがあれば人に優しくできます。
気づかぬ内に一人ではなくなります。