主の書物はどれも失われない

【日々のレーマ】2022年10月6日(木)

イザヤ書 34:16
主の書物を調べて読め。これらのもののうち、どれも失われていない。それぞれ自分の伴侶を欠くものはない。それは、主の口がこれを命じ、主の御霊がこれらを集めたからである。

【追記】
主の書物は、時を経ても失われません。

パウロのローマ人への手紙10章4節に【キリストが律法を終わらせた】と書いてあったと言う方もいるかもしれません。

比較的古い訳には、確かにそのように書いてあります。

口語訳聖書:
【キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである。】

新改訳聖書(旧版):
【キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。】

King James Bible:
【 For Christ is the end of the law for righteousness to everyone that believeth. 】

これらの聖書を読むと、あたかも、イエス様が律法を終わらせて無くしたように思えます。

しかし、聖書の新しい訳では、原語の意味合いに忠実であることを目指したために、同じ箇所でニュアンスが異なります。

新改訳聖書(2017版):
律法が目指すものはキリストです。それで、義は信じる者すべてに与えられるのです。】

新共同訳聖書:
【キリストは律法の目標であります、信じる者すべてに義をもたらすために。】

World English Bible:
【 For Christ is the fulfillment of the law for righteousness to everyone who believes. 】

ここでは、キリストは、律法を成就する方(目標・完成)という意味です。

イエス様は、律法の成就者として律法本来の意味を明らかにすることはあっても、律法を廃止する方ではありません。

現実として、律法の始まりである十戒の教えは、時代や地域を超えて人間にとって普遍です。

聖書の編纂事業においても、キリスト教は旧約聖書内の律法に関する書物を排していません。

旧約聖書の全体は、時代や地域に応じた律法や歴史書としての使命に加えて、イエス様を預言し証しする書という新しい使命が生まれて、今に活きているのです。

主の書物は、主の口がこれを命じて主の御霊が集めたものであって、どれも失われることはありません。
むしろ、その時代やその地域に応じて、主の書物には新しい使命が生まれるのです。