反乱の顛末

【日々のレーマ】2022年10月3日(月)

詩篇 106:16-18
彼らが宿営で主の聖徒モーセとアロンをねたんだとき
地は口を開け、ダタンを吞み込み、アビラムの仲間を包んでしまった。
その仲間の間で火が燃え上がり、炎が悪者どもを焼き尽くした。

【追記】
冒頭の聖句は、民数記16章のコラの反乱とその顛末です。
祭司になれないコラは、指導者であるモーセと、祭司職のアロンに不満を感じていました。

そして、コラはこう言います。
民数記16:3「あなたがたは分を超えている。全会衆残らず聖なる者であって、主がそのうちにおられるのに、なぜ、あなたがたは主の集会の上に立つのか。」

コラの考えは、一種の平等思想であって、現代のジェンダー主義や共産主義で考えそうなことです。
主張の中で【主】を言い訳程度に使ってはいますが、本当のところは個人の妬みやうらみに過ぎません。

このコラに同調したのが、ダタンとアビラムたち多数の民でした。
その結果として、コラとダタンとアビラムの一団は、足もとの地面が割れて黄泉に下ります。

比較としてダビデについて考えましょう。
ダビデは戦功を上げるも、サウル王の妬みと邪推から、追っ手の軍を向けられます。

不条理な扱いを受けるダビデでしたが、サウル王には刃向かわず、逃げるだけでした。

日本人としては、ダビデのサウル王に対する態度を、人間を中心とした忠孝で考えるかもしれません。
しかし、ダビデは、そうではありません。

サウル王を立てた神様を、ダビデは尊重していたのです。
ダビデは、神様のゆえにサウル王に刃向かわなったのです。

ひるがえって、コラはどうだったでしょうか。モーセを立てた神様をどれだけ尊重したでしょうか。

反乱して地が割れるという顛末からは、コラのような妬みやうらみは我が身を滅ぼすことが学べます。