否定されたという妄想

【日々のレーマ】2022年9月21日(水)

使徒の働き 25:18
告発者たちは立ち上がりましたが、彼について私が予測していたような犯罪についての告発理由は、何一つ申し立てませんでした。

※新改訳聖書『使徒の働き』は、口語訳聖書の『使徒行伝』に相当します。

【追記】
パウロは、ローマ総督の法廷に立ちます。

25:7【パウロが現れると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちは彼を取り囲んで立ち、多くの重い罪状を申し立てた。しかし、それを立証することはできなかった。】

25:18【告発者たちは立ち上がりましたが、彼について私が予測していたような犯罪についての告発理由は、何一つ申し立てませんでした。】

なぜ、人々は、妄想の罪でパウロを訴えたのでしょうか。
(イエス様のときも同じでした。)

人々は、自分の生き方(義)が否定されるという被害妄想に取り憑かれていたと思います。
そのために、人々は、自己の義を守るために、パウロの罪状を申し立てたのでしょう。

人は、何を守ろうとしているかで、行く末が大きく左右されます。

個人の義を守ろうとすれば、個人の範囲で他人と争わざるを得なくなります。
普遍的な価値を守ろうとすれば、大局において他人と争う必要がありません。

もしも隣人が個人の義を守ろうとしているなら、そこに普遍的な価値を付け加えてあげましょう。
(隣人の義を否定する愚は、イエス様が【豚に真珠】のたとえで戒めるところです。)

そして、人が普遍的な価値を求めれば、神様とキリストに出会います。