【日々のレーマ】2022年9月22日(木)
ミカ書 1:2
神である主は、あなたがたのうちで証人となり、主はその聖なる宮から来て証人となられる。
【追記】
人は、自らの過ちに対して、なかなか謙虚になれません。
良心が呵責を感じないように、忘れたフリをしてしまいます。
ミカ書は、前半が悔い改めの予定で、後半が未来への希望の予定からなります。
その悔い改めの冒頭に、私たちの証人が、神である主(キリスト)であることがハッキリと書かれています。
キリストが証人とはどういうことでしょうか。
キリストが、私たちの善行と悪行の証人になられるということです。
一方、たびたび聖書(ヨブ記など)には、人の堕落性を試す存在としてサタンが登場します。
サタンは、人の悪行を神様の前に讒訴する証人になります。
キリストが証人なら、サタンも証人です。
人の過ちは、霊人体に記憶されます。
そのため、人の過ちは、キリストもサタンも、天地すべてにおいて知るところなのです。
自らの過ちを知らないフリをしても、キリストとサタンという証人がいる限り、神様の前で無かったことにはできません。
では、私たちの証人として、キリストとサタンのどっちを選ぶべきでしょうか。
キリストが証人になってくだされば救いがあります。
(サタンが証人になれば破滅が待っています。)
ヨブ記の結末において、ヨブは神様の前に悔い改めます。
そして、サタンは離れます。
神である主(キリスト)が、【神様、この者は過ちを犯しましたが悔い改めております】と証人になったのです。
そして、ヨブは、失ったもの以上のものを得ることになりました。
人は、過去の過ちに対して、心から後悔(悔い改め)することです。
【悔い改め】というと、人はどうしたらよいか分からなくなるので、【心からの後悔】としましょう
【心からの後悔】が大事です。
そうすれば、ヨブのように、神である主(キリスト)が証人になってくださいます。