厳父の愛

【日々のレーマ】2022年9月7日(水)

詩篇 50:21
こういうことをおまえはしてきたが わたしは黙っていた。

※注)ひらがなの「わたし」は、神様またはキリストのことです。

【追記】
「こういうことをおまえはしてきたが わたしは黙っていた。」
神様なんですが、父親に言われたようで、焦る気持ちになります。

この詩篇50篇は、神様が人間を戒める場面です。
神様は、何を戒めるのでしょうか。

神様は、世界はもともと神様のものだから、供え物はどうでもよいといわれます。
そうことわった上で、こう言われます。

50:14【感謝のいけにえを神に捧げよ】
神様は、供え物が欲しいわけではありません。
人間が感謝の気持ちを忘れていることを戒めています。

さらに、こうも言われます。
50:15【苦難の日にわたしを呼び求めよ】
神様は、人間が苦節の中にあって、神様の存在を忘れることを戒めています。

その上で、今日の聖句を噛みしめて読んでみましょう。
50:21【こういうことをおまえはしてきたが わたしは黙っていた。】

ここまでくるとどうでしょう。
黙っていた神様は、遠くにいたのではありません。
むしろ、神様は近くにいたと分かります。

そして、22節では、神様の本音が見え隠れします。

50:22【そうでないと、わたしはおまえたちを引き裂き、救い出す者もいなくなる。】

【そうでないと】の本音は、人間を救いたい神様です。
神様は、救いたいのに救えなくなるぞと、戒めているのです。

そして、詩篇50篇の最終節は、戒めの結末らしからぬ言葉で締めくくられます。
50:23【自分の道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せる。】

厳父のように厳しく戒めながらも、愛にあふれた神様だと分かります。
神様の気持ちを近く感じましょう。