私たちが安着する地

【日々のレーマ】2022年9月6日(火)

列王記第一 8:25
そこで今、イスラエルの神、主よ。あなたのしもべ、私の父ダビデに約束されたことを、ダビデのために守ってください。『あなたがわたしの前に歩んだように、あなたの子孫がその道を守り、わたしの前に歩みさえするなら、あなたには、イスラエルの王座に就く者がわたしの前から断たれることはない』と言われたことを。

【追記】
ソロモンの時代、モーセ以来の念願であった神殿(主の宮)が完成した場面です。

それまでに多くの右往左往がありました。

まず、ヤコブは、宿営地に石の柱を立てて油を注ぎました。
それは将来建てるべき神殿の理想を示すものでした。

そして、モーセがカナンの地に入って定着すれば、すぐに神殿が建設される予定でした。
しかし、イスラエル民族の不信仰ゆえにカナンの地に入れず、荒野を流浪します。
荒野では神殿は作れず、代わりに移動可能な幕屋を宿営地に作ったわけです。

統一王国時代になり、土地に定着して、やっと神殿建設が可能な国力を蓄えます。
しかし、サウル王の過ちによって、神殿建設はダビデ、ソロモンの三代に延長されました。

ですから、右往左往して待ちに待った神殿だったわけです。

このときのソロモンは、神殿の完成を心の底から喜びます。
列王記第一の8章において、ソロモンは、神殿を国の基盤としたことで、やっと安着の地に足をつけて神の王国の理想を神様に誓うことができたのです。

一方、私たちには、キリストがいらっしゃいます。
キリストは、本神殿の実体です。

当時の人々にとって、神殿や幕屋や契約の箱は、やがて来られるキリストの代わりだったわけです。
私たちは、そのキリストを本物の神殿として迎えているわけです。

もう神殿を求めて右往左往する時代ではありません。
キリストという安着の地に足をつけてよいわけです。

キリストを基盤とした私たちの足のついている場所が、私たちが安着する【神の王国】の礎石になります。