ヒゼキヤの決意

【日々のレーマ】2022年9月3日(土)

イザヤ書 37.8
ラブ・シャケは退いて、リブナを攻めていたアッシリアの王と落ち合った。王がラキシュから移動したことを聞いていたからである。

【追記】
南朝ユダの王として、ヒゼキヤは名君と呼ばれます。
ヒゼキヤは、偶像崇拝を廃し、唯一なる神様への信仰を回復する宗教改革を行っています。
また、ヒゼキヤは、国境の防備を強化し、穀物を蓄えるなど国力の増強にも努めます。

そのヒゼキヤの治世14年目に、アッシリアの大軍が攻めてきました。
アッシリア軍は、南朝ユダを攻め上ります。

そして、アッシリア軍は、南朝ユダの民を前に、唯一なる神様を散々になじりました。
南朝ユダの人々が分かるように、わざわざユダヤ人の言葉で、神様のことをなじったのでした。

ヒゼキヤは、長官からこの話を聞くと、衣を引き裂き、粗布をまとって主の宮に入ります。
粗布をまとうことは、主の前に尋常ならぬ悔い改めの決意を持って立つことを意味します。

さらに、ヒゼキヤは預言者イザヤの元に使いを立て、次のように伝えます。
『今日は、苦難と懲らしめと屈辱の日です。子どもが生まれようとしているのに、それを産み出す力がないからです。』
『主は、ラブ・シャケのことばを聞かれたことでしょう。彼の主君、アッシリアの王が、生ける神をそしるために彼を遣わしたのです。』

子供が生まれようとしているのに、それを産み出す力がないとは、どういう意味でしょう。
神様が嘲笑されたという苦難と懲らしめと屈辱は、出産と同様の激痛だということです。
ヒゼキヤにとって、それほどまでに、生ける神様が嘲笑されたことが、心の苦痛だったのです。

昨日とりあげたゼデキヤも南朝ユダの王でした。
しかし、同じ王の立場であっても、人間性や宗教性に大きな違いがあります。

ヒゼキヤには、正しい目標があったのです。
神様が一番であり、その次に大切なものは国の民であったのです。

このようにして、ヒゼキヤは、名君として神様と共に困難を乗り越えていきます。
是非、そちらの活躍は、旧約聖書をお読みください。

南朝ユダには、ヒゼキヤのような善い王もいたことを覚えておきましょう。
イエス様は、このヒゼキヤの系譜に誕生されます。