善行の喜び

【日々のレーマ】2022年9月1日(木)

マタイ 6:1
人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から報いを受けられません。

【追記】
親に褒められたい気持ちは、幼な子にもある素直な気持ちです。
その気持ちは、父なる神様を喜ばせたいという創造本然の心から来るものです。

しかし、その気持ちの主体が他人になって、『人に見せるため』になるとどうでしょう。
自分の絶対的な価値を、他人の相対的な評価に任せることになります。
相対主義ですね。

相対主義で、自分が思うように褒められないと、元気が出なくなります。
その元気のない状態が続くと、精神の注意信号です。

そこで、気がつくべきは、私たちの【良心】です。
たとえ、誰も褒めてくれなくても、善行をすれば、私たちの良心は内なる喜びを感じます。

なぜ、良心は、善行を喜ぶのでしょう。
良心の絶対的な主体が、善なる神様だからです。

良心の喜びを実感することで、神様を身近に感じれば、気持ちは安定します。
他人に褒められなくても、元気でいられます。

善行を行うときは、【人に見せる】という意識よりも、【良心の絶対的な主体である神様】を意識しましょう。

改めて今日の聖句を読んでみましょう。

マタイ 6:1 【人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から報いを受けられません。】

イエス様は、これら2つの意識の違いについて、教えてくださっていますね。