【日々のレーマ】2022年8月24日(水)
ルカ 12.6-7
そんな雀の一羽でも、神の御前には忘れられてはいません。それどころか、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。
【追記】
昨日の『ぶどう園の労働者のたとえ』にコメントをいただきました。一部を引用いたします。
>8時間神様と一緒にはたらいたということの達成感、充足感のほうが大きいのです。
コメントに感謝です。
なるほどです。神様と8時間一緒に働く達成感・充実感は、労賃1デナリには替えられません。
その喜びがあれば、神様と1時間しか一緒に働けなかった人が哀れで、自分の喜びを分け与えたくなります。・・達成感・充実感という軸でみると二人の労働者の立場が逆転しますね。
昨日の労働者は、この達成感や充実感には気付かなかったようで、主人(神様)に労働の労苦しか言っていません。
本心で感じる達成感・充足感を意識できたら、私たちの日々の仕事も人生も信仰も前向きになって恵みが大きくなりますね。
そのことから、冒頭の聖句を読み返しました。
路傍で売られる雀一羽さえ忘れない神様です。
自分で数えることができない髪の毛の数まで、自分以上に気にかけてくださる神様です。
神様は、私たちの日々の歩みで増えた白髪も、悩みで抜けた毛の数さえもご存知でしょう。
そうですから、神様は、私たちの労働の労苦など既にご存知です。
そこまで知る神様と共に歩むことで、私たちは労賃以上の恵みを受けています。