主の目は人に向けられている

【日々のレーマ】2022年8月17日(水)

ゼカリヤ書  9.8
わたしは、わたしの家のために、行き来する者を見張る衛所に立つ。それでもう、しいたげる者はそこを通らない。今わたしがこの目で見ているからだ。

【追記】
ゼカリヤ書第9章の1~7節の預言では、イスラエルの周辺国それぞれは、自分たちの積み重ねた行いが原因となって、滅亡することが語られます。

一方、イスラエルについては、冒頭の聖句のとおりです。
神様は、神の家のために、衛所に立たれてイスラエルを守ります。神様は、イスラエルをしいたげる者を通さないと予定されます。

その預言を実際に行った歴史上の人物がいます。アレキサンダー大王です。
アレキサンダー大王の遠征軍は、イスラエルの周辺国を次々に打ち滅ぼし、征服します。

しかし、アレキサンダー大王の遠征軍は、イスラエルを素通りします。冒頭の聖句のとおりです。
素通りした理由は夢のお告げなど諸説ありますが、歴史として本当のところはわかりません。
はっきりしているのは、唯一なる神様が約束されたことは、必ず成就するということです。

では、神様はなぜイスラエルを守ったのでしょう。
イスラエルが選民の国だから?
いいえ。その理由で守られるなら、イスラエルは常に全戦全勝だったはずです。
その点で神様は公平です。

ゼカリヤ書第9章の1節には、こうあります。

ゼカリヤ書9.1【主の目は人に向けられている。】

神様は、ソドムゴモラに10人の義人がいれば全滅させないとアブラハムに約束されました。
今も昔も、神様の目は、国ではなく、人に向けられているのです。

国の民全てが正義である確率は、確率論で計算すれば予想できます。ほぼゼロです。
しかし、わずかな義人であれば確率はずっと高くなりますね。

わずかな私たちの義が、私たちの家族や友人や全体を守るということです。