【日々のレーマ】2022年8月16日(火)
イザヤ書 52.7
良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神が王となる」とシオンに言う者の足は。
【追記】
冒頭の聖句は、捕囚から解放されてエルサレム(シオン)に神様が立たれるという良い知らせ(福音)です。
山々にあって伝える者の足とは何でしょうか。
この福音が、多数の伝令者の足で山々を越えて全国に伝令されたということです。
パウロは、ローマ人への手紙第10章の中で、このイザヤ書の福音を引用します。そこから抜粋します。
15【良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。】
16【しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。】
福音(良い知らせ)は、唯一なる神様が王としてエルサレムに立つという内容です。
神様を助けて神の王国を建てるために、伝令者の声を聞いた人々は、いまこそ集まるときです。
一種の招集命令でしょう。
しかし、パウロがいうように、その福音(よい知らせ)を我が身のこととして聞いたのは少数でした。なぜそうなのかと、パウロは問います。
18【でも、こう尋ねましょう。「はたして彼らは聞こえなかったのでしょうか。」むろん、そうではありません。「その声は全地に響き渡り、そのことばは地の果てまで届いた。」】
神様は、福音を聞くべき者に対して、必ず福音を届けています。
しかし、私たちは神様の福音を聞いているようで、聞いていないのです。
そのことをパウロは戒めているのです。
それについてのパウロの答えは、信仰とは何かです。
17【そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。】
信仰は、キリストについて聞くところから始まる。それがパウロの答えです。