公正と正義への近道

【今日のリマ】2022年8月18日(木)

イザヤ書 56.1
主はこう仰せられる。「公正を守り、正義を行え。わたしの救いが来るのは近く、わたしの義が現れるのも近いからだ。」

【追記】
イザヤ書の56章は、捕囚から解放された時代です。
イスラエルの町々は、ユダヤ人だけではなく、外国人や宦官もいたようです。

※宦官とは・・異国の王や王妃に仕えた者(王妃に仕える者は去勢者もいた)

捕囚前の時代であれば、神様はユダヤ人が外国人に近づくことを厳しく戒めます。
それは、ユダヤ人が異教の神々(神ならぬもの)に染まらないためでした。

しかし、この時代は、少し事情が違います。
外国人や宦官の中には、イスラエルに住む期間を経て、唯一なる神様を信仰する者がいたのです。
神様は、外国人や宦官であろうと、信仰をもつ者を歓迎します。
そして、神様は、信仰を持つ外国人や宦官に対し、こう言われます。

3 【主に連なる外国人は言ってはならない。「主はきっと、私をその民から切り離される」と。宦官も言ってはならない。「ああ、私は枯れ木だ」と。】

さて、冒頭の第1節では、神様は【公正を守り、正義を行え】と言われました。
そのすぐ後の第3節で、神様は、信仰を持つ外国人や宦官に【言ってはならない】と注意しています。

【公正と正義】を実現するために大切なところです。
詳しく見ていきましょう。

外国人や宦官は、イスラエルという異国の地にあって、少数派です。
そのため、彼らは疎外感や差別感情を感じやすかったでしょう。
また、多数派のユダヤ人から、疎外や差別を現実に受けた者もいたでしょう。
そんな外国人や宦官の気持ちは、『きっと神様に切り離される』『ああ、私は枯れ木だ』といった不安や絶望に表れています。

最近の風潮でこの状態を考えてみましょう。
外国人や宦官はイスラエル社会にあって社会的弱者ですから、弱者を迫害するユダヤ人の方が悪になります。そのため、多数を占めるユダヤ人が批判され注意されるでしょう。一方、外国人や宦官は、弱者だからという理由で、注意をされないでしょう。

このやり方で果たして問題が解決するか、身の周りで考えてみてください。
このような勧善懲悪(綺麗ごと)による解決例は少ないです。解決するどころか、逆に尾をひく場合もあります。
神様不在のままで、人情的な勧善懲悪でお互いを裁き合う状態(正反合)に陥りやすいからでしょう。

一方、イザヤ書56章で神様が実際に注意をしたのは、弱者の外国人や宦官の方です。
神様が、外国人や宦官を注意したのは、なぜでしょう。

多数のユダヤ人を改めるよりも、少数の外国人や宦官が不安や絶望を嘆く現状を改める方が、【公正と正義】の近道だったからでしょう。結果として、心情蹂躙の問題も早く解決します。

なお、神様は、外国人や宦官に、ただ注意をしただけではありません。
神様は、元から苦労が多い外国人や宦官に対して、信仰を条件にしてご褒美を与えると約束されるのです。

4【まことに主はこう仰せられる。「わたしの安息日を守り、わたしの喜ぶことを選び、わたしの契約を堅く保つ宦官たちには、わたしの家、わたしの城壁のうちで、息子、娘たちにもまさる分け前と名を与え、絶えることのない永遠の名を与える。】

6【また、主に連なって主に仕え、主の名を愛して、そのしもべとなった外国人がみな、安息日を守ってこれを汚さず、わたしの契約を堅く保つなら、わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。】

このように神様から認められていると感じれば、外国人や宦官の不安や絶望は大きく解消されますね。

これが、神様の対策です。公正と正義への近道です。

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