【本日のレーマ】2022年8月12日(金)
マルコ 5.13
イエスがそれを許されたので、汚れた霊どもは出て行って、豚に乗り移った。すると、二千匹ほどの豚の群れが、険しいがけを駆け降り、湖へなだれ落ちて、湖におぼれてしまった。
【追記】
ガリラヤ湖を渡ったイエス様一行を迎えたのは、汚れた霊が沢山取りついた男でした。
彼は、夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていました。
人々は、彼を鎖につないで、足かせをつけました。
しかし、彼は、そのたびに鎖を引きちぎり、足かせを砕いてしまいます。
もはや、だれも彼をつないでおくことができませんでした。
イエス様は、そんな彼から汚れた霊を追い出します。
冒頭はそのシーンです。衝撃的なシーンです。
彼から汚れた霊が出て行ったのです。
すると、彼は、服を着て、その場に座りました。
正気に戻ったのです。
彼は、イエス様に、一行のお供をしたいと願い出ます。
しかし、イエス様は、家に帰って家族といなさいと、彼に命じます。
そして、イエス様は、彼の身におきたことを、主のあわれみとして知らせるようにと、彼に命じます。
もしイエス様が悪霊を追い出しただけだったら、エクソシスト(除霊師)と同じだったでしょう。
彼には、悪霊が再び取りつくことだってあります。
彼はどうすべきでしょうか。
亨進牧師は【心の宝座に誰をおくべきか】と問います。
正気に戻った彼の心の宝座は、からっぽの状態です。
そこに神様とキリストをおくことが大切です。
そうすれば、彼に再び悪霊が取りつく可能性は低くなります。
イエス様が言われたように、彼は、家族のもとに立ち返り、その地域で主のあわれみを伝える者になりました。
そうあり続ける限り、彼の心の宝座には神様とキリストがいるといえます。
心の宝座に神とキリストをおくことは、聖霊役事を受けた私たちにも当てはまることですね。