陶器師のように

【本日のレーマ】2022年8月10日(水)

エレミア書 18.13

それゆえ、主はこう仰せられる。『さあ、国々の中で尋ねてみよ。だれが、こんなことを聞いたことがあるか。おとめイスラエルは、実に恐るべきことを行った。

【追記】
神様は、エレミアを陶器師の家に行かせます。
陶器師は、出来の悪い器をこわし、それを気に入った器に作り替えていました。

神様は、この陶器師のようにイスラエルの家にできないだろうかと問います。
そして、神様は、次のように宣告します。

11 【わたしはあなたがたに対してわざわいを考え、あなたがたを攻める計画を立てている。さあ、おのおの悪の道から立ち返り、あなたがたの行いとわざとを改めよ。】

このとき、バビロン捕囚の災苦は、数十年先のことでした。

イスラエルが悪の道から立ち返るには十分な時がありました。

それなのに、イスラエルの人々は、今日を生きるしかありませんでした。

12 【しかし、彼らは言う。『だめだ。私たちは自分の計画に従い、おのおの悪いかたくなな心のままに行うのだから』と。】

人々の返答をよく読んでみましょう。

人々は「だめだ」と、悪の道から立ち返ることを拒絶しています。

人々は自分の計画が邪悪だと十分に知っていたのです。

さらに、人々は、自分の心が悪で頑なであることも分かっていたのです。

人々は、その日その日を悪の惰性で生きていたのです。

そして、冒頭にあげた神様の嘆きにつながります。

神様の宣告には、備えるための時間が十分にあったことを忘れないでください。

神様の宣告はいきなりではありません。私たちには、準備の時間は十分にあります。

私たちが、今日を惰性で生きなければ、立ち返ることができます。