この川が入る所はすべてのものが生きる

【本日のレーマ】2022年8月9日(火)

エゼキエル書 47.3
その人は手に測りなわを持って東へ出て行き、一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、それは足首まであった。

【追記】
神様は、エゼキエルにエルサレム神殿の幻を見せます。

エルサレム神殿は、地上に来られるキリストの象徴です。

そこから出る水は、川になって流れます。
その水深は、最初は足首の浅さでした。
その水深は、膝から腰へと深くなっていきます。

そして・・

5 【水かさは増し、泳げるほどの水となり、渡ることのできない川となった。】

皆さん、ここで考えましょう。
川に注ぎ込む支流はありません。
それなのに、僅かな川の水が、何倍にも増えています。

イエス様にも、僅かな物を何倍にも増やすという話が登場します。

エルサレム神殿がキリストであるなら、川は地上でキリストの血統とみ言葉を受け継ぐ者たちのことでしょう。

9 【この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入る所では、すべてのものが生きる。】

11 【しかし、その沢と沼とはその水が良くならないで、塩のままで残る。】

川(キリストの血統とみ言葉を受け継ぐ者たち)が淀まずに流れることが大切です。

流れ行く水が注げば、そこの水は良くなります。。

そうして・・

この川が入る所は、すべてのものが創造本然の生きるものの姿に復帰されます。

神様は、そのことをエゼキエルに見せているのです。

今の私たちが、足首ほどの川の流れであっても、自信を持ちましょう。
淀まずに流れれば、やがて大きな流れになることを神様が教えています。

私たちが、キリストであるお父様を受け継げば、私たちが先々出会う人々を良くできます。
【この川が入る所はすべてのものが生きる】